出がけのコンビニ、ふと耳にした有線でさだまさし。そのまま一日中「秋桜」が頭の中でパワープレイ決定。でも、歌詞の中に出てくる「こんな小春日和の穏やかな日は~あなたの優しさがしみてくる~♪」なんで小春なのかな・・・って小春日和は秋の季語なんだと。ふんふん、これって常識なんですかね。知らなかった・・・で、「常識」の定義ってなんだろか。一般的、もといあるカテゴリーの中で、大多数が共通して抱く認識、コモンセンスよね。では具体的にどのくらいのパーセンテージを占めると「知識」から「常識」にステップアップ?するのだろう。で、少し前に見たテレビの光景が思い出され、ちと憂鬱な気分に。思いを伝えようとする事と思いを押し付ける事がいっしょくたにされててね、社会(これが曲者、マスコミってやつぁ)の風が吹いている方向に便乗しようとしてるのかな、それぞれの人に様々な事情があって、その相対化されたものが世相であって、個々人の持つものは絶対的なものであって、相対⇔絶対って相容れない様だけど、ごく自然な流れだと思うのだ。その流れの中で失いつつあるというか、失ってしまったというか、それは「常識」とかではなくて、なんだろう、一言で言えば「品」なのだろう。「品の無い世界」、どこに向かうのかは皆気になるだろうけど、どの様に向かうのかが大事な気がするんだけど。
あ、彼自身の事を言っているのではなくて、周りに群がる情緒過多な方々ね。
で、新国立劇場へ。「肝っ玉かあさん~」観劇。ただ一言、しのぶに惚れた。
あ、彼自身の事を言っているのではなくて、周りに群がる情緒過多な方々ね。
で、新国立劇場へ。「肝っ玉かあさん~」観劇。ただ一言、しのぶに惚れた。