2006年03月

世界中の誰が何と言っても俺はお前の味方だ。

なんて、どこかの歌詞のようだけど、今なら歌える。
知らない間に紡いでいた曲。けれどもそれは実は気付いていたことで、ただ歌い出す迄の時間が必要で、前奏が鳴り始めたら、最初のフレーズは目の前だった。「世界中の誰が何と言っても俺はお前の味方だ。」知らない歌詞が口から零れ出た。

「目を閉じて、地図帳を開き、でたらめに指をさすと、そこは太平洋の真ん中だ。別にびっくりする事ではない。世界の4/5は水なのだから。」
そんな当たり前のことのように今なら歌える。

歌は願いであり、祈りだ。

人に迷惑をかけない、人を傷つけない、常識を持つ。当たり前。
善悪の判断で割り切れないことがある。そもそも純粋な二者択一なんてこの世にあるのだろうか。

傷を与えてしまうこともあれば、深く抉りとられてしまうこともある。

じゃあそんな事しなければいいじゃない。ではない。してしまう。そこに決断があるかないか。

世界中の人が同様に幸せである事は素晴らしいことではないと思う。
そこには喜びが無いからだ。人はそんなに奇麗じゃない。

ただ強く思う、強く願う、強く祈る、失うこと事と得ることを秤にかける必要は無い。
だから歌う。

「世界中の誰が何と言っても俺はお前の味方だ。」


やさしさに包まれたならきっと。。。

イッセー尾形のファンである私は、公演毎?に送られてくる「イッセー尾形からの手紙」が待ち遠しくて仕方ない。ゆるーい語り口調でしっかりと届ける。愛と泥臭さに満ちた手紙だ。
先日、書くに書けなかった手紙をしたためた。書きたい事があり過ぎて、それをどう伝えようか、心に聞いて、聞き取れない言葉を文字にして、その文字を手は忘れていて、でもとにかくぶちまけてみたら、便箋の半分にも満たない。その言葉の絶対数の少なさに戸惑い、凡庸さに落胆し、何度か読み返してみたが、これ以上のことは出てこない。が、これ以上もこれ以下もないな。ええいっ!思い切って封をしたそれは、まだ手元に残っている。

既に「女相続人」の稽古は始まっていて、今日からは立ち稽古。で、立ち稽古初日にして僕の出番は終了。うん、軽く眩暈。しかし、ほんの二・三日前に、この戯曲は凄く面白い!という事にやっとこさ気付く。王道の持つ力。ドラマで言えば確実に織田裕二。裕二の裏の顔を覗く心持ちで稽古に臨もう。

どうにもこうにも纏まりがつかなくなり、二年ぶりに手帳を使うことにした。いわゆるリフィール式の物を使っていたので、最初から解っていたことであるが、二年前の行動を目にすることになった。二年も前だっけ?というものもあれば、そんな事もあったな的な書き込みもあり。
だが、2/16の「めだか」とは何だろうか。6/7の「押して駄目なら叩き潰せ!」は何を昂ぶっていたのだろうか。全く持って思い出せない。

そうして、桜の花びらがほころんでいくのであった。

減る分は何かが増えている。

先週末はまたまたぶらぶら歩き回った。とても穏やかな休日。

小学生以来?に国立科学博物館。勿論家族連れが多いのだけど、カップルの多さにビックリ。その中で一人ふらつく男。。。宇宙の誕生から、細菌まで。1メートルは赤道の1/1000万だったり、日本最初の電子計算機は軽くキオスク5軒分くらいあったり。体験コーナーで、空気が出るバズーカーみたいのでフリースローをやるみたいのがあって、子供に混じって並んでみたり。身長ドン!さらに倍!みたいでちょっとしたガリバー。周りの親の目が痛い。気のせいだけどさそんなのは。
小さい頃「なぜなぜ小僧」だった僕の答えがここには沢山あって、その「なぜ?」「どーして?」がそこかしこに散らばっていて、忘れていた物に触れた気分。とても一日では回りきれないな~。ディズニーランドにも負けないよここは。

で、流れで?西洋美術館へ。期待以上の出会いに驚く。久々に磔。家に持って帰る。

あまりの空腹に歩いて一番最初に目に入ったラーメン屋に飛び込むと、そのディスコミュニケーションぶりにあんぐり。今求められてる食文化はこうなのかな?スープの濃さと反比例で悲しくなる。

その後友人と目黒でお茶。引越し談義に花が咲く。閉店時間まで粘ったら、「パンが全品100円です。」迷わず大量に友人と購入。

買って間もないお気に入りの靴の踵がもう心配になってきた・・・

後ろ向きで歩こう。

今、いる場所。2年後、5年後、10年後にいる場所。どこでもしっかり見ていたい。その時、その瞬間、ほんの些細なことで変わっていく。「絶望的な状況などない。人が絶望するのだ。」
とチベットの人は言った。とすれば、見えないものを見ようとすれば、見える訳。願えばかなう。「願うという行動」。一瞬の切り口と、流れ出る血の行く先。

「イエス」と「ノー」のバランスについて。全部に「イエス」答えたい。「ノー」とは言いたくない。今そんな心持ちで、少しずつ後回し。でも、掛け違えてる訳じゃないんだな。「整理すること」、「考えること」、「言葉にする事」。などと考えて歩いてるときに、ひょんな事から後ろ向きで歩いてみた。愛しい人と別れる時、何時までも手を振りながら距離だけは離れていく。そこに思いを残しながら、しっかりと後ろは見ているもんだな。その後ろは前なんだけどね。そんな感じで歩いてみる。それだけで変わるね。いつもの事を、いつもじゃない事として。踏みしめた小石の感触、馨る風の音と質感、自分を写す影。輪郭がはっきりと、大きく、艶やかに感じられて。

これは真っ当なことなのだ。



万はいったはずだ、万は。

引き続きよい「天」の「気」。ギリギリで国立近代美術館へ。
遠縁の方の作品が所蔵されている為、企画展が変わる度に招待状を頂けるので、事ある毎に足を運ぶ場所。いつも東京の中心が緑に溢れているのには落ち着かされる。相当な努力と労力と税金の賜物なんだろうけど。
常設展はサラッと。若干のマイナーチェンジはあるんだろうけど、大体いつも足が止まる作品が決まってくる。が、今日は一つ大発見があって、そうだったのか~!とみっつもよっつも簡単の息を吐く。

で、お目当ての「リビング アンド デザインの革新 渡辺力 展」へ。リキスツールというダンボールで作った子供の創作玩具だったり、近代美術館の休憩スペースの椅子だったり、目にすることが何度かあったのだ。
が、驚いたことに、以前僕は「同潤会アパート」という古いとこに住んでいて、そこは取り壊しになってしまったのだが、そこには大きな中庭があって、取り壊しの際に、住民の方々が皆中庭に家具やらなんやら、いろいろな物を捨てていったので、何か良い物ないかな~と色々手に入れた訳なのだが、そこで拾った籐のテーブルと同じものが展示してあって、「あ!これ持ってる!」と周りの人に言いたい衝動を抑えるのに必死なままその場を去る。

その後、ギャラリーをいくつかまわるととあるギャラリーの受付で働く知人を発見。今まで何度も足を運んだことがあっただけにビックリ。
また違うギャラリーでは非常に良いヒントもらう。

万歩計を着けてみればよかったなと思う程歩き回った今日一日。
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